「効率が10倍以上違います」
AIにそう言われたとき、私は一瞬、なるほど、と思ってしまいました。
思ってしまった、と書いたのは、そのあとで自分の中に小さな引っかかりが残ったからです。今回はその引っかかりの話を書きます。
きっかけは単純で、noteのダッシュボードのスクリーンショットを、3つのAIに投げてみたことでした。Claude(Opus 5)、ChatGPT(思考モード)、Grok(エキスパートモード)。同じ画像を渡して、「ここから分かること」と「今後の方針」を聞きました。
結果、3体はかなり近い結論を出しました。そしてその結論は、論理としては正しかったと思います。
正しかったのに、私はそれをそのまま受け取れませんでした。
AIが出した「正しい改善案」
まず、数字のほうから。2025年4月から2026年9月までの全期間で、こういう数字でした。
- インプレッション:1,325,964
- ページビュー:59,533
- スキ:11,202
- コメント:642
- 売上:6,070円 ここから割り算をすると、こうなります。
- 表示されたうち、開かれた割合:約4.5%
- 開いた人がスキを押した割合:約18.8%
- コメント率:約1.1%
- 1PVあたりの売上:約0.10円 3体が共通して指摘したのは、まずこの構造でした。開封率4.5%に対して、スキ率18.8%。露出は十分にあるのに、その大半が開かれずに流れている。一方で、開いた人はかなり高い確率で反応している。
つまり弱点は文章そのものではなく、入口――タイトルや見出し画像のほうにある。ここは3体とも一致していました。
そして具体的な改善案として挙がったのが、以下です。
① 高インプレッション・低開封率の記事のタイトルを直す
例えばこの3本。
合計で15.5万回表示されて、2%台。 新しく記事を書くより、この3本のタイトルを直すほうが安い、という指摘でした。これは反論しづらい。
② 検索流入を意図的に育てる
流入元を見ると、note内が56.3%、Googleが27.3%。Yahoo!とBingを足すと、検索経由は約31%になります。映画レビューとしてはかなり強い数字だそうです。映画の公開週にレビューを出すと検索需要に乗る、という指摘もありました。
③ Xは主戦場にしなくていい
X経由は1.5%(932PV)。ここを頑張るより検索を伸ばすほうが早い、という判断です。
④ 収益化の設計が弱い
59,533PVで6,070円。人気記事がすべて無料なので、集客記事→深掘り記事→有料記事という導線を作るべきだ、と2体が提案しました。
⑤ そして、これが一番刺さった指摘
スキ1つを得るために必要な表示回数を出すと、こうなります。
- 映画「恋愛裁判」:439回に1スキ
- 映画「六人の嘘つきな大学生」:395回に1スキ
- 「人が書くということ、AIが書くということ」:34回に1スキ
- 「noteを書く前に疲れてしまう人へ」:30回に1スキ 映画感想文と、書くこと・AIについて書いた記事とで、効率が10倍以上違う。だから後者に寄せたほうがいい――というのが、統合された結論でした。
ここまでが、AIの側から見た「正しい答え」です。
そこに、自分の美意識を当ててみる
私は数年前から、自分の価値基準を一つのドキュメントにまとめ続けています。「主人核ペルソナ」と呼んでいるもので、作家として、エンジニアとして、推し活をする人として、仕事人として――バラバラに見えていた自分の判断のクセを、一人分の人格に統合し直したものです。いまv5まで来ました。
その中の「美しくないもの」という章に、こう書いてあります。
- 数字だけで人や成果を評価すること - 見せるためだけの成果 - 効率のために意味を失うこと - 規模拡大のために楽しさを失うこと
……先ほどの改善案を、上から順に照らしていくと、なかなかの一致でした。
さらに別の章では、推し活について「『どれだけ好きか?』ではなく『どうやって好きか。』」と書いています。数えられる行動を用意しているのは、しばしば構造の側である。だから、用意された採点表に、そもそも乗らない――そうも書きました。
AIが出してきた改善案は、全部「どれだけ」の論理でした。どれだけ表示されたか。どれだけ効率よくスキを取れるか。どれだけ売上が立つか。
つまり私は、採点表に乗らないと自分で決めておきながら、自分で採点表を持ってきて、AIに採点させていたわけです。
ここで「だから数字は見ない」と言ってしまうのは、たぶん違います。私は同じドキュメントの中で、「数字だけの評価を疑う」と書きました。見るな、とは書いていない。そして、疑うこと自体が目的ではなく、疑ったあとに「では、自分にとって何を選ぶのか」まで戻ってこい、とも書いています。
戻らずに結論を出したのが問題だっただけで、見たこと自体は間違っていなかった。そう考え直しました。
数字を、採点表ではなく「観測データ」として読む
同じドキュメントに、こういう一節があります。自分が作っているゲームの開発中、テストは59件通っていたのに、実際に遊んだ人からは全然違う指摘が来た、という経験から書いたものです。
こちらは「状態」を見ていた。あちらは「時間の中の体験」を見ていた。
作り手には、自分の内部が見えています。だから「仕様どおり」だと分かる。でも受け取る側は内部を知らないので、外から見て異常と区別がつかなければ、その人にとっては異常と同じです。
アクセス解析は、まさにこの「あちら側」の記録でした。良し悪しの点数ではなく、書き手には絶対に見えない、読者の側で何が起きていたかの痕跡。
そう読み直すと、さっきの表がまったく違う顔をします。
「恋愛裁判」は、63,678回表示されて、97.8%の人が開かなかった。
これは「評価が低かった」ではありません。タイムラインという場面に立った人が、そのタイトルを見て「読む」という次の行動を選べなかった、ということです。行き止まりとは、進めないことではなく、次に何をすればいいか分からないこと。 自分でそう書いておいて、自分の記事の入口でそれが起きていた。
私はよく「余白を残す」と書きます。説明しすぎると、相手が自分で意味を見つける余地がなくなるから。でも同じドキュメントの中で、こうも書いていました。
材料が薄すぎれば、余白は余白ではなく空白になる。
タイトルは、記事の中でもっとも材料の薄い場所です。そこで余白が空白になっていた可能性は、認めたほうがよさそうでした。
落とすもの、残すもの
そのうえで、AIの改善案から落としたものがあります。
効率の話は落としました。 「10倍効率がいいから書くこと系に寄せろ」は、私の中では「効率のために意味を失うこと」に直結します。
収益化の設計も落としました。 少なくとも、いま優先することではない。
題材選びを検索需要で決めることも落としました。 これが一番大きい。映画公開週に合わせて書く映画を選ぶのは、用意された採点表に乗る行為そのものです。ちなみに私が書いた映画感想文の中で、note内でのスキ率が最も高かったのは1996年公開の『ファーゴ』でした。開封率は1.35%。検索需要なんてほぼゼロです。あれは観たかったから書いただけでした。
では何を残したか。開封率だけです。
反応が少ないことは、私にとって問題ではありません。理由は後で書きます。でも開封率2.2%は「反応がなかった」ではなく、「そもそも渡っていない」です。渡っていないものは、返ってきても返ってこなくても、ない。これは循環の善し悪しではなく、循環の前段の話でした。
線引きも見えました。私は自分のドキュメントで、編集をこう定義しています。
原稿の中身を足すことではなく、すでにそこにある観察の質を落とさずに、届き方だけを設計し直す。
題材選びに数字を入れない。届き方には数字を入れる。
だから、「読みたくさせる」タイトルは付けません。それは「見せるためだけの成果」に近づきます。でも「何の話か分かる」タイトルにはします。それはふりがなを振るのと同じ、読者をつまずかせないための実務です。
この線なら、私の美意識と数字は喧嘩しません。
私にとって、noteとは何なのか
最後に、さっき保留にしたことを書きます。
私にとってnoteは、自分の全人格が活性される場所です。映画感想文はその中の、感情の発露の一経路にすぎません。小説の構想も、作っているゲームの設計も、仕事の考え方も、全部ここに繋がっています。
そしてもう一つ大事なのは、私はここで書き手であると同時に、読者でもあるということです。
他の方が書いた記事から着想をもらって、小説を書いたことがあります。ゲームの設計が変わったこともあります。それは私のダッシュボードには一行も出てきません。当然です。あれは私が出したものの記録であって、私が受け取ったものの記録ではないので。
だから、私の記事への反応が見かけ上少なくても、問題にはならない。循環は、私の記事に返ってくる反応だけで回っているわけではないからです。
――で、ようやく本題です。
もし私が、この「noteとは何なのか」を掴まないままダッシュボードを開いていたら、どうなっていたか。
たぶん、素直に効率のいいほうへ舵を切っていたと思います。だって、あの分析は論理的に正しいのです。3体のAIが独立に同じ場所を指したくらいには正しい。反論しようとすると、こちらのほうが感情的で非合理に見える。
数字は「もっと効率のいいあなた」を提案してきます。しかもその提案は、たいてい正しい。だから怖いのだと思いました。
正しくない提案なら、人は簡単に断れます。断りにくいのは、正しい提案のほうです。そして正しい提案を断るためには、「私はこれを大事にしている」という、数字とは別の軸が要る。
美意識というのは、たぶん数字に勝つためのものではありません。数字をどこに置くかを決めるためのものです。軸が先にあれば、数字は観測データになる。軸がないまま数字を見ると、数字のほうが先に「あなたは何者か」を決めてしまう。
だから、順番なのだと思います。
ダッシュボードを開く前に、自分にとってこれが何なのかを、一度だけでも言葉にしておく。それだけで、同じ数字がまったく違うものとして見えてきます。私は今回、それを3体のAIに教えてもらった、というより、3体に反論しようとして初めて言語化できました。
摩擦がないと、輪郭は出ないものなのかもしれません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。 あなたにとって、noteはどういう場所ですか。数字を見て「いや、ちゃうねん」と思った経験があれば、コメントで教えていただけるとうれしいです😊
静かに深く、物語の世界へ。 心の奥にある言葉にならない感情に寄り添いながらも、立ち止まって眺め直す距離を大切にしています 感想文を軸に違和感や感情の揺れを言語化し、解釈や問いを広げていく記事を書いています
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